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一方向

暫く東京を離れる
事にしました。
  ****
と、署名入りのFaxが来た
いつもながらのスタイルで
具体的には全く不明だ。

CPの調子が悪い・・・
ふしぎと分からないことは
重なるものだ。


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桃の花

ひとかたまりの葉がはげしく震えていて
まるで小枝で鳥がはばたくように見えた。
海洋を渡る風が、そのままの勢いで来る。
年間を通して、割合風の強い土地である。
彼の地では、森の木が風を起こすらしい。
海洋に浮かぶここでは、海が風を起こす。
ここでは、風は潮の匂いを含んでいる。

 庭には桃の花が咲いている。

山之口獏に、この題で詩がある。

 桃の花

いなかはどこだと
おともだちからきかれて
ミミコは返事にこまったと言うのだ
こまることなどないじゃないか
沖縄じゃないかと言うと
沖縄はパパのいなかで
茨城がママのいなかで
ミミコは東京でみんなまちまちと言うのだ
それでなんと答えたのだときくと
パパは沖縄で
ママは茨城で
ミミコは東京と答えたのだと言うと
一ぷくつけて
ぶらりと表へ出たら
桃の花が咲いていた

どの土地にも、その土地の者同郷の
者にしか分からない世界があった。
しかし、今ではそうした世界を生活の
一部にでも持てる人は幸せである。
街も村も、大方の場合身も骨もなく、
固有名詞を失って、うっすらとした
常識というあてがいものを羽織って
さ迷っている。のっぺらぼー・・・


半年

半年たった。それだけのことだが
どういうことかは、よく分からない。
どういうことかはよくわからないが、
あらためて、かぎりをいきてみる。

山之口獏の詩がある。

 ミミコの独立

とうちゃんの下駄なんか
はくんじゃないぞ
ぼくはその場を見て言ったが
とうちゃんのなんか
はかないよ
とうちゃんのかんこをかりてって
ミミコのかんこ
はくんだ と言うのだ
こんな理屈をこねてみせながら
ミミコは小さなそのあんよで
まな板みたいな下駄をひきずって行った
土間では片隅の
かますの上に
赤い鼻緒の
赤いかんこが
かぼちゃと並んで待っていた

ある枠の中には納まらない風景がある。
生活は広がりをもって伸びるものであり、
生活は縁取り難いもので、本来その風景は
ある枠の中に簡単に納まるものではない。

枠の中に簡単に納まる風景があるとしたら、
それは多分に加工され都合よく記憶されて
おり、事実の全体から離れたものであり、
一種自己防衛の色彩の濃い幻想を含む
ものであると多くの場合言えないだろうか。

全体の流れの中でなく、切り取られた断片
をもって、事実に代えていくという現象は、
もともと個人の脆弱さにおいてもみられるが、
土の匂いのする動物本来の生活から遠い
「区切られ、定められ、管理される」現代の
生活すべての面において見られる、特別に
このところ強い社会的現象でもあるだろう。

枠組みが決められ、意味もあらかじめ定められ、
かつ一定の喜び・かなしみ・怒りといった情動と
併せてセットされた場面、スライドのような場面が、
何の苦痛もなく、安住しやすい既知の意味として
個人の内面・外面、社会の内面・外面を蓋い尽し
支配する力を増しているように感じる。

ひととしての生活から、遠ざかり何かを失った
ことと深く関連して、この生活の風景が断片化
され、一定の枠の中に納まるという現象はある。

個人の脆弱さ、時代の脆弱さは、ますます
切り取られた軽いスライドの世界へとわれわれを導き、
全体としての事実・自然から自家中毒のように二重に
わたしたちを引き離していく。現代の病理である。




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終わりに

桜は花を残すが、葉桜に変わりつつある。
桃の花が咲いた。くるみ大の実になる。
満開のつつじは、そろそろ咲き終える。
紅い椿の花は、しばらく咲いている様子。

あたまの空白を そこいらの空に掛けてみる
胸のあたりの空白は ベランダに立てかける
はらのなかの空白は ヤギにでも喰わせよう
空っぽになった胴体にも 手足はついていて
それなりのことを証明しよう と言っている
お遊びではありませんよ と言っている
確かに 寝言は寝て言えばいいし
確かに やるべきことは黙ってやればいい

永久の別れは そうやってやって来るし
永久の別れは 突然にやって来る
永久の別れは そういうものだし
永久の別れに 会話はいらない 


いいんじゃない

よくわからないけど、いいんじゃない
困ったさんだけど、いいんじゃないの
どうにかなってるし、いいんじゃない
そんなことも、たしかにわかるけど、
う~ん、いいんじゃないのかな~。

時間切れで、きょうはおしまい。
おやすみ。


椿

椿の花は落ちる。その
爛熟した花は余程美しい。
しかしその美しさは、びらん
とも呼ぶべき美しさであり
老いや死といった終わりを
予感させる美しさである。
びらんし死臭を漂わせると
事実椿の花は落ちて果てる。
あっさりと朽ちていくのだ。
朽ち果てる直前にみせる
爛熟した花の美しさには、
ある種の風格がある。
最後に示す渾身の試みに
人は共感するのだろうか


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2007-02-21

生き物が動く。不思議な顔をしたり
跳んだり跳ねたり、手足動かし体を
ゆすって動く。声を上げたり笑ったり
泣いたり。書くこともないと思ったが
「ooの惑星」だという。ゾッとしない。
ゾッとしないが、生きている以上は
何か楽しみでもと、普通の顔をして
ふざけたことを考えてもみる。


美しき被写体

みんみんみんみんセミが鳴く
距離、拡大、焦点、解析力、
対象の固定、写真機の固定、
肉感、まなざし、とらえかえし、
光、質感、きめ、構図、色調、
一瞬のうちに混沌が駆ける?

あっ、あ~あとんでちゃった~

わかるけど、わからんわけではないけど、
あの感じ
よくわかるけど、
わかんねぇ
あのずれた感じ

ほ~ら、とんでちゃった~


東北(1)

「泣きむしかすくぇ、でぇこん一本しょえね」母の目が離れると
すぐ兄ちゃがわざと顔を歪ませて、べぇ~をしてはやしたてる。
「あっやった。またやったよ、おかあさ~ん」・・・遠いもやの中。

柔らかに揺れる庭木の下で、「痛いときには泣いたらいいよ。
泣くと治るよ」とやさしく父が声をかけてくれたことを思い出す。

・・風は木がおこすんだ。森は木が多いから、風がおきて怖い。
でも、きょうは静かな夜だ。森の方からの風の声も聞こえない。

「あっ、やった、またやった」「痛いときには泣くと治るよ」
水面、揺れる水面。三角に波を立てる鴨。おぼろげな世界。

お正月に、空っぽのうすの側で、きねは寝転んだまま寒い風
に吹かれていた。父は居なかった。そしてその後、おかあさん
の声も速くなって、しだいに細く途切れ途切れになっていった。

ケンケンパー、陣取り、隣のタケ兄、・・・みんなどこいった・・・


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紙切れ

紙片が出てきた。

悩んでいるのだろうか
普通の顔をして
少し歩いてみる
椿が落ちて 根を埋めて 土を隠す

どうしたんだろう
垣根越しに 女やこどもたちの笑い声や 野太い男の声がする
遠い日の痛みや 明日の希望にも似て

夏が来る

砕かれ敷かれた 白い石粉道の上の僕は 9歳だ
バナナの葉がゆれて 草や木や虫たちの
湿った甘酸っぱい匂いがする

少年とこどもの端境で 少し伸びをすると
少しいやらしくもなる あの頃
北の国から生きて帰った 端正な顔立ちの教師が語る
水道が凍る話に なにか厳しさを予感しつつ
わが身を少し重ねてもいた あの頃だ


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